1 オンブズマンとは
そもそも一般的にオンブズマンという言葉は、特にスウェーデンにおいて長い歴史的経過の中で形成されてきたものですが、公正中立の立場に立って行政を監視する機能を持つ市民の代理人の意味で使われています。
現在ではこのオンブズマン制度は、各国で国の制度として普及していますが、残念ながら日本にはありません。
自治体レベルでは川崎市をはじめとしていくつかの地方自治体で作られ、宮城県でも県政オンブズマンという形で出発をしています。
2 仙台市民オンブズマン設立のきっかけ
ところで私たちが創った「仙台市民オンブズマン」は公的な制度ではなく、自ら市民としての自覚のもとに県や市の行財政活動を監視しようとする私的で自立的な組織です。
このような組織を創ろうという動きが出てきたきっかけは、「花京院事件」という仙台市が国鉄用地の取得をめぐっての経過に疑惑についての訴訟事件です。
しかし、この事件を取り組む中で行政の腐敗構造の根深さを痛感し、市民レベルでの継続的な監視機構が必要と感じました。
この動きとは別に宮城地域自治研究所という団体が仙台を中心とする県内の市民運動の人たちからさまざまな意見や提言を聞く中で、同じようにオンブズマンの必要性が語られるようになったのです。
仙台市民オンブズマンは、1993年6月24日に「地方公共団体等の不正、不当な行為を監視し、これを是正することを目的」に結成されました。
この頃、仙台市長は石井亨氏、宮城県知事は本間俊太郎氏で(いずれも収賄容疑で7月、9月に逮捕、起訴され、実刑判決をうけた)、仙台市政、宮城県政ともに、共産党以外の会派は「与党」を名乗り、いわゆるオール与党体制が出来上がり、市議会、県議会は監視機能を全く失っていました。
一方、監査委員はといえば、仙台市花京院旧国鉄用地の不当貸し付けをめぐる住民監査請求をいとも簡単に棄却したことに見られるように、これまたチェック機能を喪失していました。
眠る議会、死せる監査委員と揶揄される由々しき事態が現出していたのです。
こうした中で、市民自らが行政をチェックできるように、専門家による恒常的な監視機関の必要性が認識されるようになり、1992年9月に、花京院問題など住民運動とのかかわりの深かった宮城地域自治研究所の理事会で、「仙台市民(草の根)オンブズマンの発足についての検討」が正式議題として取り上げられました。
その後、同研究所に結集する弁護士らを中心に仙台市民オンブズマン結成への準備が進められ、93年3月の先進地(名古屋・京都・大阪)視察、4月の準備会の会合を経て、6月の結成へとこぎつけたのです。
その後の食糧費、カラ出張、議会・警察の不正支出をめぐる活動等の詳細については、
仙台市民オンブズマン著『官壁を衝く』(毎日新聞社、1999年)及び本ホームページ掲載の会報「オンブズマン」をご参照ください。
3 オンブズマン活動の実際
情報公開のためには多額の費用がかかっているのですが、
この資金は全て会員や支援組織であるタイアップグループの
皆さんからの会費やカンパでまかなわれています。
月1度の例会ではいつも活発な議論が展開され創意あふれる
活動方法が提案されます。
私たちは国や地方自治体の行財政のむだ遣いを監視する
ことだけではなく、むだ遣いをなくすためにどうするかという
観点から具体的な提言も行います。
例えば、監査委員のあり方についての提言も行い実際にも
その成果が行政に反映しています。
4 会則
仙台市民オンブズマンの会則は別途掲載したとおりですが、大きな特徴が2つあります。
その1つは、第5条1項の「当会は、会の目的に賛同する住民で構成する」との規定です。
これは、オンブズマンは個人の結集体であることを明確にしたものです。
従来の市民団体は団体の寄せ集めで作られることが多く、そこでは個人の意志が団体の意志に押しつぶされてしまうことがまま見られました。
それでは自立した市民の運動は発展しないことから、この原則を貫徹することにしたのです。
2つ目は、第5条3項に「会員は、当会を特定の政治目的に利用してはならない」との規定を設けたことです。
これは市民運動にとって当たり前のことですが、未成熟な日本社会は、往々にして個々の運動を右とか左とか、○○系などとレッテルをはり、そうした眼だけで市民運動を評価するきらいがあります。
現に仙台市民オンブズマンに対しても、異邦人、あるいは共産党といったレッテル張りが、盛んに行われた時期があります。
ある筋にいたっては、あの団体は社会党系、共産党系、無党派の3派の連合体で、それぞれの路線の対立が激しく、早晩分裂するだろうとの予言すらしてくれていました。こうした見方が横行する中で、会の立場を明確にする上でも、会員が自らを律する上でも、言わずもがなの規定をあえて書き込むことになったのです。
仙台市民オンブズマンが築きあげてきた数々の成果は、こうした立場をしっかり貫くことによって成しとげられたものと言うことができます。